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生活とか適当に

30代の転職活動

30代後半、転職活動しています。

 

色々事情があった。簡単に言えば仕事or結婚。

結婚を取った。結婚したいじゃない?子供欲しいじゃない?

30代に入って転職して結婚は無理だと思ってた。

 

なかなか給与の上がらないクソど田舎、

がむしゃらに働いて丸4年で年収をなんとか500万にした。

(平均よりは100万程度多い)

 

付き合ってた元彼女現嫁さんは自信満々に「男一人位養ってやるよ」。

相当迷った。仕事もやっと軌道に乗って実家で生活する分にはかなり余裕が出てきた。

500万だったら二人暮らしでも普通の生活は出来るはず。

仮に嫁さんが扶養の範囲内で働いても世帯年収は600位。この地方で子無しならかなり贅沢できる。

嫁さんはまだまだ若い、年収もそこまではない。ギリギリで2人暮らしが出来るくらい。

自分が仕事を辞めた後で嫁さんの仕事が上手く行かなかったら共倒れだ。

但し嫁さんの将来性は(年齢的にも企業的にも)あった。

でも今考えれば余程出世しないと上限は同じくらい。

自分は40後半で800位行く見込みはあった。

しかし結婚や子供は諦められなかった(から嫁さんの仕事を優先した)。

 

自分が仕事を辞めて同棲を始めて暫くしたら本当に「辞めたい」と来たもんだ。

最近は本当に「生き地獄」と言っても過言ではない。

色々重なった震災時期や、過去勤めてた会社でゴミ箱の様にクソ業務集められた時よりも辛いかもしれない。 

 

どんな状況でも今できることをするしかないんだけども。

 

今6社くらい応募して4社書類落ち、1社1次面接結果待ち、1社書類選考待ちです。

現時点では全国的に知名度の有る企業を応募して、若干ランクを落とし始めたところです。

そこで1社書類が通りました。

 

36歳ということもあって自分の市場価値は高くはない。

人手不足の元の業界ならともかく、関連業界は難しいかもな。

妻のサンドバック

それは旦那のことですね。ボッコボコ。これじゃ共倒れだよ…。

 

前回、薬のことを書きましたが、当然ながら妻も薬を服用しています。

妻は憧れの会社に入れたものの、お局軍団のいじめを受けまくって精神をやられてしまいました。しかし稼ぎが良い上に『私が大黒柱になるから』と35過ぎの旦那の仕事を辞めさせたのでさぁ大変。旦那は必死こいて求職活動始めたものの、妻に「やっぱ辞めたくない、でも辛い」と言われて勤務先の条件が決まらず貯金を切り崩しての生活が続いています。

 

薬の種類はスルピリドブロマゼパム、あと導入剤のゾルピデム

量は私の倍程度ですね。まぁ仕方がない。ブロマゼパムは結構良い効き方してるみたいだけど、2ミリじゃ少ないし、これ以上多くすると仕事に影響が出そうとの事。

 

健康な人から見れば睡眠導入剤精神安定剤には差別的な感情をはらんでいる部分はありますね。でも追い詰められるとそうは言ってられなくなる。自分も健康だった頃、あんな危ない薬飲むやつどんなんだよ、とか思ってたしなー。

だからたまに見る『安定剤飲んでるやつとかヤバイよね』とか言ってる人、本当幸せものですね。縁のないその生活、羨ましいわ。

 

旦那である私は薬を飲んでも生活するために鞭打って一歩でも前に進むしかない。嫁よ、不満を一、二度言うのは良いと思うが何度言っても時間の無駄で人生悪い方向にしか進まんぞ…。そしてちゃんと薬は飲んでくれ。

睡眠導入剤と精神安定剤

一時期全然寝れなくて酒飲めば寝れるのかなと思ったけど、酒は凄い弱い上に学生時代に酒飲んで眠気が来たことがないので、ここは多分薬に頼ったほうがいいのかなと思いまして飲んでいます。多分酒だと薬よりも早く肝臓壊しそうですしね。

 

震災直後に体調を崩したときにも一度飲んだことがあり、デメリットを感じていなかったので比較低抵抗なく飲めています。容量が増えてくるとちょっとね。嫌だけど。

 

処方されたのはブロマゼパムっていう抗不安剤ゾルピデムっていう睡眠導入剤ですね。震災の時はハルシオン出されましたが最近は全然出してくれないみたいですね。

 

ブロマゼパムってのは初めて飲む薬で、若干恐怖心もあったので処方された1mgのをピルカッターで半分に割って飲んでます。正直効果あるのかどうか良く分かりません。

 

ゾルピデムは2mgを1錠をさらに半分に割ってます。これは流石に効果を感じますね。頭フラフラする感じです。そのまま飲むとさらにキツく効くんでしょうがこれで十分です。ベースに眠気があるから問題なくれ寝ます。

 

どの程度肝臓等にダメージ行くんですかね?年単位の常用はしたくないので上手に付き合っていきたいもんです。

嫁さんの仕事が上手くいかない

 我が家は色々と事情があり、現在嫁さんの1馬力となっている。

 

 結婚後、将来性があり生活に有利になるであろう嫁さん側についていく形で、自分が退職して引っ越したのだ。本当は自分も働きたいのだが、計画しているうちに嫁さんが抱えていた問題が顕在化してそれどころじゃなくなった。一大決心をして引っ越したら2週間で嫁さんが仕事やめたいと言い出した。

 

 どうしようもないので、とりあえず短期バイトを入れて生活費の足しにしようとした。が、バイト期間も終わりかけた頃に嫁さんが薬物の多量摂取で自殺未遂を起こしてしまい医療費で全て消えた。大事件である。ちなみに薬物の多量摂取での緊急搬送の場合、受け入れ病院が非常に少ない。よほど危険な薬を飲んだ場合は分からないが、よくある睡眠導入剤くらいだと死ねない(安全で緊急性がない)ので大病院は受け入れないし、普通の病院も精神系は面倒臭がって受け入れたがらないのだ。これは本当に参った。ちなみに病院からの請求は3日の入院で40万近くだった(保険証が氏名変更で手元になかった)。

 

 ちなみに嫁さんが抱えていた問題とはいじめである。嫁さんは金融業の総合職であったが元々一般職とパートの妬みが半端なかった(入社時点で一般との差が6万くらいある、でも入社時点では仕事ができない訳で…)。

 明確に何がきっかけでイジメになったのか今でも分からないが、推測するに元々妬みがあったのに加えて結婚の報告が遅かった事で決定的になったのかもしれない。そこで上司から思いっきり反感をくらって、その配下の人が全員冷たくなった。

 

 偏見で申し訳ないが女性が多い職場は女性特有の感情がドロドロしており反吐が出る場合が多い。特に過去の最前線で働いていたパートのおばちゃんとかが過去の栄光で張り合うためか、年下の社員に対する当りが脳みそイかれてると思うくらい理不尽で気分が悪くなる。こいつらはイジメと他人の不幸で自分を保っているのである。哀れな上に他人に迷惑かけるし会社にも貢献していない(自分たちはテキパキと仕事しているから、と思っているが、そのパートのために正社員が何人も辞めており影響は計り知れない)。はっきり言って産廃以下の存在である。

 

 生活は火の車だ。自分は恥ずかしながら転職を何度か繰り返し、やっと3番目の職場で5年目を迎えた程度で、退職時になんとか350万の貯金はあったものの、上の事件のせいで余計な支出と収入減、自分の健保年金住民税、自動車税であれよあれよという間に貯金が100万減った。一応嫁さんの収入はまだあるが毎月3万の赤字。現時点でも問題は全く解消されていない。もしも仮に嫁さんが仕事を退職するのであれば、最低100万は残しておかないと新しい生活を始めることができなくなってしまう。半年で100万貯金を食い潰して、残りの余裕は150万しかない…。

 

 嫁さんは3週間の休職を経て復職した。正直自殺未遂を起こした人間が1月も休まず復職できるもんだなと思ったが、会社は職場での人間関係や将来性を重視したため、極一部の人間しかイジメの実態を知らず、また陰湿な嫌がらせが起こってかなり不安定な状態である。こそこそと対応はしているらしいので復職してなんとか2ヶ月を迎えれそうだが、嫁さんに「辞めたい」「死にたい」「私は決められない」を今日を含めて何度言われた事か。特に感情のわからないメッセンジャーアプリで訴えられると、どこまで本気にして良いのか分からず、不安に支配されて何もできなくなるのである。

 

 別にこんなとっ散らかった文章を書いた所で自体は何も好転しない。しかし書かないと自分の精神が駄目になりそうである。嫁さんの昼休みに送られてくるメッセや帰宅時の電話が不安でしかなく、その不安で日常の作業に支障が出ている時点で自分の精神も壊れてしまったかも知れない。頻脈もかなり酷い。

 

 こんな状態になるとは夢にも思わなかったなぁ…。レンズいじって遊んでたあの時期に戻りたい。

フォーサーズの望遠レンズ

 昨年の11月にフォーサーズのF2.8通しズームレンズの最高峰、90-250mmを購入しました。フルサイズに換算すれば180-500mmでF2.8通しの超弩級レンズで、そんなレンズはシグマの200万するあのレンズしかありません。

 

 フォーサーズ全盛期ではこのレンズも60万以上したようですが、悲しいかなフォーサーズは衰退の一途を辿り、もはやオワコンで中古は激しい値下がり…。そんな規格のレンズを集めている私は相当物好きだと思います。今後数年でオリンパスも修理受付を打ち切るでしょうし、昔のMFオンリーのレンズと違って電子制御のレンズの寿命はどう考えても相当短いはず。早ければ10年も立たないうちに故障で使えなくなりそうで、そうなったら大変悲しい(十分高かったし)。

 

(ちなみに気合が入らないときはGM1Sにパナ12-35F2.8とGM5にパナ35-100F2.8のコンビです。小ささが正義の時もある)

 

 そんな状態なのは十分理解しつつ、結局あの後300mmF2.8と7-14mmのSHGレンズも買い足して、ついでにE-M1 MarkⅡも買いました。なんか安い軽自動車の新車1台分くらい使っちゃった気もしますが、早ければ今年入籍するので最後の散財ですね。色々事情もあり試算するとお小遣い制で月1万しか貰えない。レンズどころかボディも5年位は買えないですね。オリの12-100とか300F4とかパナの8-18とか欲しいけどもっと無理。

 

 やっぱりこのクソ高いシステムが10年くらいで修理受付終了となり、壊れて使えなくなったら納得出来ないだろうな。でもまぁもう買ったし使い倒すしかないんですけどね。願わくはSHGレンズ群だけでも10年位修理対応して欲しいなぁ…。部品の在庫次第だろうけど。

 

 ところで最近150F2と300F2.8と90-250F2.8を同時に持ち出して比較しています。まだ半年しか所有してないし、画角とサイズが常軌を逸しているのでそんなに持ち出し頻度高くないけど。ちなみにこの3本は速射ストラップを利用して三脚なしで運用してます。

 

 □ ZUIKO DIGITAL 150mm F2.0

 ボディ混み2キロくらいか。コンパクトじゃないけど運用は余裕。でもこれぶら下げて公園歩くとおじさんに声をかけられるくらいはでかい。

 E-M1でもE-M1mk2でもどちらでも快適に使える。開放でも凄く解像するしコントラストの落ち込みも感じられない。換算300mmなのでまぁまぁ使いやすい。AFも一番良く決まる。所有しているレンズの中でベスト5に入る位好きなレンズ。1番は大ズミかなぁ…。

 

□ ZUIKO DIGITAL 90-250mm F2.8

 意外と三脚無しでも運用できる。ボディ混みで4キロくらいか。構えて撮影するのは15秒が限界。いくらカメラが趣味でも、写真撮影を行うことが一般的な場所じゃないと持ち運びは無理。

 明らかにE-M1mk2の方が使いやすいけど、E-M1でもそれほど不満がない。開放だと結構モヤッとする(条件によっては気にならない場合もある)。1段絞るとテレ端の換算500mmでも信じられない写り方をすることがある。でも流石に上記150や下記300の単焦点組には逆立ちしても勝てない。あとボケがうるさいと感じた。SSはE-M1mk2だとテレ端で最低速で1/250になるけどなんか足りてない気がする。フォーカスが理想の位置に来ないことがしばしば。光量不足の影響がモロにある(感度は高くないのにコントラストも解像感もないスッカスカの写真が出てくる時がある)。正直晴れた日か薄曇りでしか使いたくない。当たり前だけどパナの100-300やオリの50-200にEC14よりは良い。

 ズームリングは予想より軽くて、手持ちで手のひらで支えた状態でも指先だけで回せました(個体差あると思いますが)。なんだかんだいってズームは便利。

 

□ ZUIKO DIGITAL 300mm F2.8

 一番重く感じる。重心のせいか?でもまぁ辛いけど手持ちで大丈夫です。大きさは90-250と同じ。

 E-M1だとピンぼけ量産しました(なんで?)。それ以来mk2でしか使っていません。画質は開放でもびっくりする。絞ったら神。SSは90-250と同じように最低速で1/250になってから感度が上がってくるけどもう少し早くても…。90-250と同じように来て欲しい所にフォーカスが来ないことがそこそこある。150と比べたら…、正直150の方が好きな写りするんだよなぁ。でも単焦点換算600mmでF2.8ですからね、150の換算300じゃ足りない場合は結構あるし、薄暗い森の中では撮影した時90-250との差が圧倒出来です。

 

 90-250と300は…なんというかフォーカスの解像度?モーターのピッチが荒くて、フォーカス合ってないよね?っていう写真を結構吐き出します。腕がヘボい?正直よくわからず。

  

適当に時間が合ったら7-14と14-35と35-100の感想も書きたいと思います。

カメラ1

 小学生の時に親が使っていた35mmフィルムのMamiya 135EFというカメラに興味を抱きました。

 

 当時、フィルムに加えて現像、プリント代が必要なフィルムカメラは学生には敷居が高すぎました。暫く経った中学生の頃、同級生に比べて少なめなお年玉を使いなんとか購入したのが、APSフィルムを利用するKONICAのパンフォーカスコンパクトカメラでした(モデル不明)。

 頑張って購入したカメラでしたが、撮影対象が当時飼っていたインコ程度しか思いつかなく、中学生のお小遣いではフィルムは購入できても現像、プリントまではお金が回らない状態になり、未現像のフィルムを10本ほど作っていつの間にか撮影しなくなりました。

 

 高校生では試験に失敗し、実家の近くの入りたかった本命高校を横目に底辺工業高校に通っていました。私立だけありバイトは自由でしたので、近くのスーパーでアルバイトを1年位やりました。当時のお小遣いが5,000円とかですから、それに比べて初給料で手に入れた約6万という金額は金銭感覚を麻痺させるのに十分な額で、たった2日で使いきったりしました。

 

 当時はカシオのあの有名なQV-10を発売した時期で、まだまだお手軽に楽しめる代物ではありませんでした。しかし3ヶ月だけ所属していたサークルの合宿で同級生がなんとQV-10を所有しており、そのお手軽さに感動したのを覚えています。ただ、カメラ熱は既に冷め切っており、他の趣味に没頭していたこと、カメラ本体その他付属品もまだまだ高く性能も低かったこともあってカメラを購入するには至りませんでした。

 

 その数年後、底辺工業高校から底辺工業大学へなんとか進学することができました(底辺にも底辺なりの苦労がある…)。サークルに入りながらも人見知りな性格が災いし一人でプラプラすることが多かったのですが、たまにあるサークルのイベントで写真を残しておきたいなぁと感じて購入したのがカシオのQV-R4です。

 このQV-R4は今でも覚えているくらいデザインが気に入ったカメラでした。使い心地もかなり快適だった記憶があります。この頃になると画素数も400万と、パソコンで鑑賞するには十分になってきており、モニターやL版での鑑賞しかしない一般人にはフィルムカメラに置き換われるほどの性能を持っていると感じていました。

 QV-R4を所有したことによって何かあれば写真を撮るようにはなりましたが、まだまだ趣味としてのめり込むほどではありませんでした。

 

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QV-R4にて